もう4年が経ちました。あの3月11日から。
(12日に書いているけど、そのへんはご容赦のほどを…)
4年前のあの日、金曜の午後でした。
東京のオフィスの5階で猛烈な横揺れに数分間襲われた。
生きた心地がしなかった。
Yahoo!で地震情報を見た同僚が「うわっ!宮城県、震度7だ!」と叫んだ。
すぐさま、仙台支店に電話した。一般回線もVPN専用線も繋がらない。。。
地震雲立ち込める中、初めて会社から自宅まで歩いて帰った。
飲み会とかで終電を逃してもサイアク歩いて帰れる立地で探した我が家、
まさかこんな事態で歩いて帰るとは夢にも思わんかったw。
まだ東京に越して半年も経たず土地勘も無いので、思えば随分遠回りして帰りついた。
家の中はグチャグチャで、バイクも倒れて、飼っていたハムスターのケージもひっくり返ってるだろうな…と思ったが、大きな被害は無かった。
東北で働く会社の方々含め、身近で犠牲になった人がいなかったのが本当に良かった。
仙台支店の建屋は崩壊したけれど。。。
震災明けから5月くらいまで、東京の事務所から後方支援が主な仕事でした。
本来なら、翌12日はクロスポイントの定例ツーリングの予定だったのです。
11日の日が暮れたくらいで、のまど隊長から電話。
mixiのチームのコミュでツーリング中止を告知して欲しいとの依頼で、トピを立てました。
最近、家の鍵を閉めたかどうかも忘れがちな自分ですが(爆)、
4年前のあの日の事は、かなり鮮明に覚えています。
東京はすっかり日常の生活を取り戻しましたが、それでもあの日の事は忘れません。
昨年のGW、東北をツーリングして見た風景、感じた空気が3.11を再認識させました。
この時の後半のツーレポは、未だに書けずにいます。
暫くは書けないでしょうね。
この画像に写っている土地に生活の体温が戻ってきたら、書けるかもしれません。
それが何年後でも、詳細に書けると思います。
だって、忘れられないから。
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COMMENT
No Title
おろしていたブラインドがしゃん、しゃん、て音を立てて、気分が悪くなる人が続出、何が原因だったのかを知ったのはそれからしばらく経ってからでした。
一昨日の追悼式で19歳の女の子(当時15歳)が読んだ弔辞があまりに生々しく、痛ましくて涙なしには聞けませんでした。
傷が癒えることはひょっとしたらないのかもしれませんが、心安らかになれる日が一日も早く来て、街が復興することを祈るのみです。
Kachi//
>Kachiさん
きっと東北で辛い思いをされた(されている)方々は忘れてしまいたいんでしょうけど。
少しづつ生活の匂いが戻ってくる事を願いつつ・・・